開園情報

開園時間
9時~17時(子供の森は10時~16時)(入園は16時半まで)
休園日
木曜日(祝日の場合は開園) 
TEL
078-732-6688
駐車場
空いています※休園日は利用不可
子供の森
利用可能※休園日は利用不可
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離宮公園の歴史

須磨離宮公園の前身は皇室の別荘「武庫離宮」で、天皇陛下のご宿泊を主目的に大正3年(1914年)に造営され、昭和20年(1945年)の神戸空襲で御殿などの主要建物が焼失するまでの約30年間、大正天皇や貞明皇后、昭和天皇(当時皇太子)、「ラストエンペラー」として知られる溥儀皇帝(当時満州国皇帝)がご利用されました。離宮の造営には国宝の迎賓館赤坂離宮(旧:東宮御所)などの建築を手がけた片山東熊や新宿御苑の庭園設計を行った福羽逸人など当時最高レベルの技術者らが携わっており、宮内省(現:宮内庁)が西本願寺の門主・大谷光瑞の月見山別邸と隣接する土地を買収して大規模に造成が行われた国家事業でした。

戦後、進駐軍の射撃訓練場に接収されたのち、昭和31年(1956年)に神戸市に返還されました。昭和33年(1958年)に当時皇太子であった上皇陛下のご成婚記念事業として整備がはじまり、昭和42年(1967年)に正式開園しました。

中門広場

今に残る武庫離宮

下図は公園の図面に武庫離宮を重ねたものです。

正門から噴水広場の西や南を中心に、武庫離宮の遺構が残っています。

正門

門扉は新しいが、左右の門柱や亀甲形の石積みが残る

馬車道

両側の縁石や腰石積、西側のカイヅカイブキの列植などが残る

装石(ロカイユ)

十数個~数十個程の庭石を組み合わせて壮大な岩石が自然に露出したように施した石組み

中門

ヒノキ材、白漆喰の壁に瓦葺き、中門広場の東側には御殿に通じる御車寄があった

潮見台

西洋の城壁を思わせるデザインと太いモルタル目地が特徴の露台(物見台)が残る

傘亭と石灯篭

名勝「行平月見の松」付近に建てられた傘形四阿舎(あずまや)。空襲で屋根が焼け落ち、青銅製の擬木柱(岡嵜雪聲 作)のみ残っていたが、市民団体などの協力により平成23年(2011年)に竹穂葺きの屋根が復元された。

天皇の池

離宮選定では、当時コレラなどの疫病が流行していたため、良質の水を供給できることが重視された。旧武庫離宮の水源地を、通称「天皇の池」という。天井川を堰き止めてこちらへ水を貯め、浄水場で浄化したあと離宮へ送っていた。池の横にあるトンネル(隧道)は、洪水の際に土砂水のう回路として掘られたと見られる。
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