須磨離宮公園50周年【1967-2017】特別寄稿~藤岡氏が語る『バラと神戸と関わって』

2017.06.24

エピソード 1:「神戸とバラ~神戸バラ会の誕生と街頭バラ園の展開」

神戸市のバラ栽培の歴史は古く、まだ日本でバラがあまり普及していなかった頃、松方コレクションで有名な松方氏などが直接海外からバラを輸入し、神戸の別荘で栽培されていました(宝塚市の園芸業者の初代阪上勘右衛門氏談*1)。

 戦後、講和条約*2の際にアメリカから送られてきた品種「ピース」*3を見て、その驚きの進歩に全国でバラ・ブームが起こり、日本の各都市にバラ会が誕生したのです。神戸市では、昭和27年から大丸神戸店*4で年2回のバラ展が開催され、そして、昭和29年に神戸バラ会が結成されます。その中心は筑紫六郎氏(神戸生絲)で、結成メンバーには桑原泰業氏(神戸銀行)、奥谷惟之氏(二楽園)がいました。大丸神戸店でのバラ展は、バラ先進国アメリカの神戸の姉妹都市シアトル*5から認められていたことを以前奥谷氏から聞いてはいましたが、私が神戸市のバラと関わることになるのはまだ先のことです。

 さて、私とバラの関わりは高校時代に遡ります。六甲高校在学中にアルバイトをしていた二楽園で奥谷氏と面識を得たこともあり、昭和25年に日本ばら会関西支部*6の研究会に同期生の増田氏と一緒に行った記憶があります。しかし、バラと本格的に関わるようになったのは大学生になってからで、浪速大学(現・大阪府立大学)に入学後、昭和27年に新伊丹(伊丹市)にあった同会関西支部の試験場を訪ねたことがきっかけです。当時芦屋市在住の先輩栗田寛二氏から紹介された金子氏(栗田氏同期生)が同会関西支部長をされていた寺西致知氏の甥だったので、昭和30年に大学を卒業後、私は同会関西支部に勤め始めました。そこでバラを介して全国を飛び回っていましたが、神戸市のバラとの接点はまだありませんでした。

昭和30年代の神戸市には本格的なバラ園はまだなかったのですが、前述の神戸バラ会の働きかけ*7で、昭和36年に県庁前に街頭バラ園として山手街園(通称・山手バラ園)が、同38年には本山街園(同・本山バラ園)が続けて建設されました*8。その後は高塚公園、須磨離宮公園、布引ハーブ園と広がっていきます。その間の昭和54年に神戸市のバラの啓発普及に多大な貢献をしてきた神戸バラ会は解散します*9。その同会解散後になって、いよいよ私は神戸市のバラと本格的に関わるようになりました。

神戸バラ会解散の翌年(昭和55年)、須磨離宮公園に神戸市街頭バラ園造成基金協会*10の記念バラ園*11が造成され、私はそのバラ園の品種選定をしました。これが神戸市のバラとの関わりの始まりです。続いて、街頭バラ園では神戸市主催の剪定講習*12で関わり始め、震災後の平成13年には道路改修で新たに設計された本山街園の品種選定と植替え用に抜いたバラの古株を市民へ配布するお手伝いをしました。

私がバラに関わるようになって、かれこれ早や60有余年。さらに神戸市のバラと関わるようになっても約40年の長い年月が経ちましたが、そもそもなぜ私がバラに魅了されたのか?それはまた別の機会にお話しすることにしたいと思います。

 

【藤岡友宏氏プロフィール】

昭和30年 浪速大学(現・大阪府立大学)農学部園芸科卒業

 同  年 日本ばら会関西支部入社、試験場主任、営業部長を歴任

昭和54年 日本初の園芸コンサルタントとして独立し、現在に至る

 

参考)

1.二楽園綜合園芸株式会社(現・株式会社二楽園)「創業80周年記念誌」

 2.神戸市ホームページ・建設局公園砂防部管理課(現・建設局公園部管理課)「美緑花

ボランティアだより2009年秋冬第7号」

注釈)

*1 当時出入りの庭師だった阪上元右衛門氏が、バラの枝を貰って来て、接ぎ木をしたの

が、宝塚市山本でのバラ栽培のはじまりとなった。

*2 1951(昭和26)年にサンフランシスコで締結された日本国との講和条約、通称サンフラ

ンシスコ講和条約のこと。

 *3 バラの園芸品種。作出年1942年、作出国フランス、作出者メイヤン(メイアン)。モダンローズ(四季咲き性)のハイブリッドティー(大輪咲き)系。黄色にピンクを帯びた花。1976年、第3回世界バラ会連合世界大会(世界バラ会議)のオックスフォード大会で、初めて「バラの殿堂」入りした品種です。第二次世界大戦後の1945年に平和を願って命名された名花(一般に作出年が1945年とあるのは、アメリカのコナード・パイル社の発売年度)。当園には中門広場の「バラの歴史と文化園」と「世界殿堂入りバラ園」に植栽しています。

 *4 現・大丸松坂屋百貨店大丸神戸店。

*5 神戸とシアトルは昭和32年に姉妹都市提携。

*6 日本ばら会は昭和23年に発足(同会ホームページより)。関西支部は同会のすすめで、翌24年に寺西致知氏を中心に結成された。同会関西支部がのち伊丹バラ園となる(現イタミ・ローズ・ガーデン)。

*7 「市民が身近にバラを楽しめるように」と神戸市に働きかけて建設されました。

*8 これら街頭バラ園は、神戸バラ会会員のみなさんがボランティアで維持管理されていました。

*9 その後新しい神戸バラ会が桑原氏により再結成され、藤岡氏には昭和57年5月に2日間

神戸市北野のローズ・ガーデンでバラ展を開催した記録が残っているそうです。また、桑

原氏の依頼で同会のお手伝いをするようになったそうですが、残念ながら、再結成の年や

現在の活動は記録がなく不明とのことです。

*10 神戸市街頭バラ園造成基金協会は、昭和39年に会長筑紫六郎氏の寄付をもとに発足し

ました。神戸バラ会とともに長年にわたって街頭バラ園を育成してきましたが、昭和54

年に同会とともにその活動を終え、神戸市に引き継がれました(現在街頭バラ園は神戸市

が維持管理しています)。

*11 神戸市街頭バラ園造成基金協会の解散にあたり、須磨離宮公園の中門広場に同協会記念

バラ園(10種475本)として同協会の基金で造成されました(現「バラの歴史と文化園」)。

その後須磨離宮公園では、「王侯貴族のバラ園」と「世界殿堂入りバラ園」を造成し、神

戸市のバラ園のひとつとして、バラの啓発普及を行っています。現在春と秋のバラの時期

には、藤岡氏を講師に招き、バラの育て方教室を開催しています。

 *12 花と緑のまち推進センターと神戸市では、現在も藤岡氏を講師に街頭バラ園(山手、

本山)と高塚公園バラ園で冬季と夏季に毎年剪定講習を開催しています(詳細は同

センターホームページでご確認ください)。

 

エピソード 2:「バラの魅力~藤岡先生がバラの伝道師になった理由」

 前回は、神戸のバラに私が関わってきた経緯をお話ししました。その中でバラを通じて全国のさまざまな方と知遇を得てきました。

 さて、今回は浪速大学(現・大阪府立大学)農学部園芸科に進んだ私が数ある植物の中でなぜバラを選び、その後半生にわたり関わるようになったのかを少しだけ詳しくお話ししようと思います。

 そもそも私がはじめてバラと触れ合うことになった場所。それは自宅の庭です。有恒クラブ*1に入会していた会社員の父親が、当時クラブに関係のあった確実園*2に依頼して作ったバラの花壇が私とバラの出会いです。たしか昭和12年頃*3だったと思いますが、ピンクやオレンジ色の大輪が咲いていた記憶があります。もちろん子供でもあり、特別関心を抱いたという記憶はなく、バラとの関わりは前回にもお話ししたように、やはり大学に入学後ということになります。

 しかしながら、園芸科に進んだ私は悩んでいました。それは進路について、スイセンかラン、バラを志したいと考えており、実はどの道に進むか悩んでいたのです。まずスイセンとランについて、それぞれ当時日本を代表する専門家*4をはるばる関東へ訪ねたところ、それぞれにこう尋ねられました。「君のご家庭は金持ち(裕福)かね?」私が「いいえ」とお答えすると、「では、よしなさい」というわけでどちらの道も断念することになり、結果バラが残ったというわけです。

 やがて、大学の先輩から紹介された金子氏が日本ばら会関西支部長の寺西致(ち)知(ち)氏の甥であったことから、関西支部の試作場を訪ねるようになりました。このご縁で学生時代に例会に参加するようになり、戦前からのバラの大御所であった岡本勘(かん)治郎(じろう)氏*5や前田敏文氏から戦前のお話しを聞いたりするうちに、他の花にはない歴史や国際的な人気に引きつけられ、ぼつぼつと出版され始めた園芸の本や戦前の栽培書、ばら会の会報などをむさぼるように読み、いよいよバラの世界の深さに取り込まれていったのです。

 私がバラに心酔したのは、戦後バラの輸入が始まり、アメリカで本格的に作られ始めたピース*6を代表とする新しい品種が大きく影響しています。後に直接お目にかかる事になる東京の藤井栄治氏や鈴木省三(せいぞう)氏*7のバラの本や会報などへの寄稿文に憧れ、学生時代には自宅の庭で、他の花は捨てて、所狭しとバラを栽培したものでした。

やがて、フランスやドイツなどからも新品種が輸入され始め、日本のバラ業者が競ってこれらの品種を売り出します。これらを収集して栽培されていた芦屋市の藤井氏や西野氏の庭を見学したりして、さらに魅了されたのでした。その後私は学生時代に出入りをしていた日本ばら会関西支部の試作場へ就職し、そこでバラの栽培だけではなく、品種の調査や展示会などで関東の日本ばら会本部をはじめ全国を飛び回るようになり、バラを通じて私の礎を築くことになる園芸界だけではない広い人脈が出来ていったのです。私が抱いたバラの魅力は、みなさんと同じようにその花、色、香りあるいは歴史などはもちろんですが、バラの世界に足を踏み入れた頃に出会ったバラと関わりをもたれた方々のバラに対する情熱やその方々への畏敬からくる興味関心の方かもしれません。人とのつながりがさらにバラとのつながりを呼び、そのおかげで私は現在もなお、バラの魅力をみなさんにお伝えする事が出来る次第です。そして、遅ればせながらようやく私もバラの育種に取り組むことになります。それはまた別の機会にお話ししたいと思います。

 

注釈)

*1 当時の大阪の財界クラブ。

*2 確実園本園。

*3 確實園植物場(現・確実園)が昭和14年2月に発行した「昭和十四年度春季大卸カタログ」(9ページ)には、洋種バラ約130種が掲載されている(販売単価は10本あたり70銭~3円50銭)。公務員初任給が75円、白米上等10kgが2円73銭であった当時(昭和12年)、バラは国内生産による流通はしているものの高価な存在であったと想像される。また、同社のある宝塚市山本は園芸植物の生産地であり、バラは当時全国シェア80%の生産規模に達していた。

*4 スイセンは伊藤東(とう)一(いち)氏(東光ナーセリー主)、ランは後藤兼吉氏。加賀邸(現・アサヒビール大山崎山荘美術館)での洋ラン展で椙山(すぎやま)誠治郎氏(大和農園主)と面会。実業家の加賀正太郎は、自邸に後藤氏を招き、ともに日本の洋ラン栽培、育種に多大に貢献した。

*5 園芸家、バラ育種家。昭和30年に株式会社朝日新聞社が主宰する朝日バラ協会を発足

し、京阪電気鉄道株式会社の協力で枚方公園内にバラ園と研究所を設立(現・ひらかたパーク・ローズガーデン、京阪園芸株式会社)。藤岡氏の友人で後に九州大学教授となった有隅健一氏(フラボノイドの色素を研究)が当時勤務されていた。

*6 作出国はフランス、作出者はメイヤン(メイアン)。作出年は1942年で、第二次世界大戦

後の1945年に平和を願って命名され、アメリカのコナード・パイル社が同年に発売。

*7 日本を代表するバラの育種家(作出者)のひとり。「ミスター・ローズ」とも呼ばれる。

 

参考資料)

1.「横浜市統計書」(昭和14年発行より昭和12年日用品小売物価)。

2.「値段史年表 明治・大正・昭和」(同盟出版サービス 2001より昭和12年の小売価格、公務員の初任給)。

3.「山本園芸協会八十年のあゆみ」(昭和61年発行より一部抜粋コピー。確実園提供)

 

 

エピソード 3:「新しいバラを作る~新種作出のよもやま話」

 ご存知のように、現在市販されているバラの苗には名前がついています。その中から、バラの魅力である花の色や形、香りをとおしてお気に入りのバラを選ぶ方も多いでしょう。また、前述のバラについている名前(品種)からインスパイアされて栽培意欲が高まり選ぶ方も少なくないのではないでしょうか。そうして選んだバラはどのようにしてふやすのか、あるいはそもそもバラはどのようにして新種を作出(育種)するのか。今回は、未だ名前のついていないバラ、すなわち新しいバラ(新種のバラ)の作出についてお話ししたいと思います。

バラは被子植物で、花が咲いた後には果実(種子)をつけます。余談ですが、この果実を「バラの実(ローズヒップ*1)」と呼びます。そのバラの実から採取した種子を播けば発芽します。しかし、お気に入りのバラ(親)の種子を播いても似る事はありますが、全てがその親のとおりのバラは出来ません。親と同じ性質(特徴)を出して増やすには、挿し木か接ぎ木*2をします。いわゆるクローンです。この技術で増やせば、親と同じ苗を一度に沢山作ることが出来ます。特に、接ぎ木ではその後の生長が早いので、市販されている(名前のついている)バラの苗のほとんどは接ぎ木で生産されています*3。さて、今回のように全く新しい(名前のついていない)バラを作るには、まず親となるバラの種子の交配から始めます*4。

バラを種子から育てるのは、あまり難しいことではありません。しかし、両親として選んだ品種の種子を交配すると、バラの良いところは大半が劣勢ですので、悪いところばかりが出てくるのです。同じ両親から交配をして思い通りの良い花が生まれる確率は、計算上最低でも「1600分の1(0.06%)」とされています。つまり、名前がついているバラは、このような低い成功率で作出された良いバラの中でも、さらに「より良いバラ」といえます。こうして、晴れて世に出ることになる育種家の思いにかなった「より良いバラ」は、他の選ばれなかったバラの数と比較すると実に希少ということが分かります。現在、世界で栽培されている園芸品種(名前のついているバラ)は、約2~10万種あると言われていますが、前述の確率からすると、単純にその1600倍の新しいバラが作られた計算になります*5。

以前お話ししたように、私は大学入学後にバラに関わり始めました。以来約50年が過ぎた頃、今から10年ほど前になりますが、少し土地が使えるようになり、バラの育種のために、ビニールハウスを建て、新しいバラ作出の交配を始めたのです。当時は、自分の好きな色で良い香りのする丈夫な品種を作るという程度の目的でした。そうするうちに、街頭バラ園や須磨離宮公園などで神戸のバラと関わる中で、平成17年に月刊誌「神戸っ子」*6の出版をされていた小泉氏と会食する機会があり、その際に「ぜひ、‘KOBE ROSE’を作りなさい!」と勧められました。「やってみましょう!」と二つ返事をして進めてきたのが、「神戸らしいバラ」を作ることでした。神戸らしいイメージを考えた時に、私は明るい朱オレンジ色で、香りのある大輪バラを目指しました。なぜなら、この色のバラで香りを持った品種が無かったからです。

これまでにお話ししたように、バラの育種は両親となる品種の交配から始まるのですが、最も大切なことは母親(母木)選びです。たとえ良いバラを母木に選んでも、実が付かなかったり、発芽が悪かったり、あるいは良い子どもが出てこない場合があります。この良い母木を探すには、やはり長年の経験と試作が必要です。バラの育種は、最初のうちは花ばかりを見てしまいがちですが、丈夫さ、多花性、そして咲く花が1年にわたって良いものかどうかを、数年にわたって調べなければなりません。そうして初めて新しいバラが誕生するのです。根気と努力に加え、いずれにしても自然の偶然的結果が重ならないと思い通りの良いバラは生まれないのです。

この新しいバラの作出にあたり、私はまず世界の殿堂入りバラ*7の一つである、くすんだ朱色で香りの良い大輪の‘ドフトボルケ’*8を親に考えました。しかし、調べてみるとこのバラを親に持つ品種からは、あまり良いバラが生まれていないことが分かり、あらためて「神戸らしいバラ」への作出意欲が沸いたのです。交配を始めて5~6年で目的の色は出たのですが、香りが出ません。10年をかけて交配を繰り返しましたが、思うような香りは出てきません。頭では理解していたつもりですが、良いバラを作る事がこれほど難しいということを身に染みて悟ったのです。同じく実生*8でバラを作出する友人から、さらに努力すればとの助言を受けて、この10年かけて作った中で他のバラも含めて一番良いものを選んで須磨離宮公園に贈ったのがこのバラ*9です。今は、このバラの生長を育種家の一人として心から楽しみにしています。

 

注釈)

*1 バラの実の通称。本来ローズヒップと呼ばれるのは、ヨーロッパの野生種(原種)のひ

とつロサ・カニナ(Rosa canina)の果実を指します。

*2 接ぎ木(挿し木)は、親と全く同じ性質(特徴)を引き継ぐ増殖技術です。接ぎ木は台

木の根に目的のバラの枝(穂木)を接いで、挿し木は切り取った枝を用土に挿してふや

す技術です。接ぎ木の増殖で馴染みがあるのはサクラのソメイヨシノ。これは元々1本

の親木からふやされたサクラです。同じ遺伝子を持つクローンなので、何代にもわたっ

て同じ性質(特徴)を引き継ぎます。例えば、ソメイヨシノは気温等環境の条件が全く

同じであれば、全国どの場所でも同じ日に開花します。逆にいえば、全国で環境が異な

るからこそ、ソメイヨシノの開花がサクラ前線として春の風物詩となっているわけです。

*3 日本では野生種のノイバラの生育旺盛な性質を利用して台木に使い接ぎ木で生産され

ています。接ぎ木には、切り接ぎ(枝を接ぐ)と芽接ぎがあります。

*4 種子による交配のほかに、現在ではバイオテクノロジーによる遺伝子交配(いわゆる遺伝子組み換え)も行われています。

*5 2万~8万種=32,000,000~128,000,000。現在も育種家によって新しいバラの作出が行われているので、名前のついていないバラも比例して増えている事になります(試作を含めると見当もつきません)。しかし、これらの中から育種家が新たに選抜して命名する事もありますので、現在市販されているバラ(約2万種といわれている)の仲間に入るかもしれません。

*6 月刊神戸っ子KOBECCO(株式会社神戸っ子出版)、小泉美喜子氏。

*7 世界バラ会連合(本部ロンドン)が3年に一度開催する世界バラ会議で参加の主要約

40か国の専門家により推薦、選出されるバラ。選出の条件は「世界中どこでも栽培でき

る事」。2015年まで17回開催され、現在までに16種選出されています。当園では

全種をご覧いただけます(「世界殿堂入りバラ園」に15種、「王侯貴族のバラ園」に1

種)。

*8 ドイツのTantauが1963年に作出した品種。別名フレグラント・クラウド。「世界

殿堂入りバラ園」に植栽展示しています。

*9 種子から育てること。

*10‘シェア・ブリス’と‘鶴見’90’に無名バラを交配した新種のバラ。この度、須磨離

宮公園開園50周年を記念して、神戸のオリジナルローズとして藤岡氏から寄贈されま

した。

 

参考資料)

月刊神戸っ子KOBECCO No.530,2005年,11月号,P62-64