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木曜日(祝日の場合は開園) 
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エピソード 2:「バラの魅力~藤岡先生がバラの伝道師になった理由」

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 前回は、神戸のバラに私が関わってきた経緯をお話ししました。その中でバラを通じて全国のさまざまな方と知遇を得てきました。

さて、今回は浪速大学(現・大阪府立大学)農学部園芸科に進んだ私が数ある植物の中でなぜバラを選び、その後半生にわたり関わるようになったのかを少しだけ詳しくお話ししようと思います。

そもそも私がはじめてバラと触れ合うことになった場所。それは自宅の庭です。有恒クラブ*1に入会していた会社員の父親が、当時クラブに関係のあった確実園*2に依頼して作ったバラの花壇が私とバラの出会いです。たしか昭和12年頃*3だったと思いますが、ピンクやオレンジ色の大輪が咲いていた記憶があります。もちろん子供でもあり、特別関心を抱いたという記憶はなく、バラとの関わりは前回にもお話ししたように、やはり大学に入学後ということになります。

しかしながら、園芸科に進んだ私は悩んでいました。それは進路について、スイセンかラン、バラを志したいと考えており、実はどの道に進むか悩んでいたのです。まずスイセンとランについて、それぞれ当時日本を代表する専門家*4をはるばる関東へ訪ねたところ、それぞれにこう尋ねられました。「君のご家庭は金持ち(裕福)かね?」私が「いいえ」とお答えすると、「では、よしなさい」というわけでどちらの道も断念することになり、結果バラが残ったというわけです。

やがて、大学の先輩から紹介された金子氏が日本ばら会関西支部長の寺西致知(ちち)氏の甥であったことから、関西支部の試作場を訪ねるようになりました。このご縁で学生時代に例会に参加するようになり、戦前からのバラの大御所であった岡本勘(かん)治郎(じろう)氏*5や前田敏文氏から戦前のお話しを聞いたりするうちに、他の花にはない歴史や国際的な人気に引きつけられ、ぼつぼつと出版され始めた園芸の本や戦前の栽培書、ばら会の会報などをむさぼるように読み、いよいよバラの世界の深さに取り込まれていったのです。

私がバラに心酔したのは、戦後バラの輸入が始まり、アメリカで本格的に作られ始めたピース*6を代表とする新しい品種が大きく影響しています。後に直接お目にかかる事になる東京の藤井栄治氏や鈴木省三(せいぞう)氏*7のバラの本や会報などへの寄稿文に憧れ、学生時代には自宅の庭で、他の花は捨てて、所狭しとバラを栽培したものでした。

やがて、フランスやドイツなどからも新品種が輸入され始め、日本のバラ業者が競ってこれらの品種を売り出します。これらを収集して栽培されていた芦屋市の藤井氏や西野氏の庭を見学したりして、さらに魅了されたのでした。その後私は学生時代に出入りをしていた日本ばら会関西支部の試作場へ就職し、そこでバラの栽培だけではなく、品種の調査や展示会などで関東の日本ばら会本部をはじめ全国を飛び回るようになり、バラを通じて私の礎を築くことになる園芸界だけではない広い人脈が出来ていったのです。私が抱いたバラの魅力は、みなさんと同じようにその花、色、香りあるいは歴史などはもちろんですが、バラの世界に足を踏み入れた頃に出会ったバラと関わりをもたれた方々のバラに対する情熱やその方々への畏敬からくる興味関心の方かもしれません。人とのつながりがさらにバラとのつながりを呼び、そのおかげで私は現在もなお、バラの魅力をみなさんにお伝えする事が出来る次第です。そして、遅ればせながらようやく私もバラの育種に取り組むことになります。それはまた別の機会にお話ししたいと思います。

 

注釈)

*1 当時の大阪の財界クラブ。

*2 確実園本園。

*3 確實園植物場(現・確実園)が昭和14年2月に発行した「昭和十四年度春季大卸カタログ」(9ページ)には、洋種バラ約130種が掲載されている(販売単価は10本あたり70銭~3円50銭)。公務員初任給が75円、白米上等10kgが2円73銭であった当時(昭和12年)、バラは国内生産による流通はしているものの高価な存在であったと想像される。また、同社のある宝塚市山本は園芸植物の生産地であり、バラは当時全国シェア80%の生産規模に達していた。

*4 スイセンは伊藤東一(とういち)氏(東光ナーセリー主)、ランは後藤兼吉氏。加賀邸(現・アサヒビール大山崎山荘美術館)での洋ラン展で椙山(すぎやま)誠治郎氏(大和農園主)と面会。実業家の加賀正太郎は、自邸に後藤氏を招き、ともに日本の洋ラン栽培、育種に多大に貢献した。

*5 園芸家、バラ育種家。昭和30年に株式会社朝日新聞社が主宰する朝日バラ協会を発足

し、京阪電気鉄道株式会社の協力で枚方公園内にバラ園と研究所を設立(現・ひらかたパーク・ローズガーデン、京阪園芸株式会社)。藤岡氏の友人で後に九州大学教授となった有隅健一氏(フラボノイドの色素を研究)が当時勤務されていた。

*6 作出国はフランス、作出者はメイヤン(メイアン)。作出年は1942年で、第二次世界大戦

後の1945年に平和を願って命名され、アメリカのコナード・パイル社が同年に発売。

*7 日本を代表するバラの育種家(作出者)のひとり。「ミスター・ローズ」とも呼ばれる。

 

参考資料)

1.「横浜市統計書」(昭和14年発行より昭和12年日用品小売物価)。

2.「値段史年表 明治・大正・昭和」(同盟出版サービス 2001より昭和12年の小売価格、公務員の初任給)。

3.「山本園芸協会八十年のあゆみ」(昭和61年発行より一部抜粋コピー。確実園提供)

 

 

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