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2013年06月17日

旧伊藤博文公銅像台座

大倉山公園

石材によるこの大きな造形物は、初代兵庫県知事・伊藤博文の銅像の台座です。
銅像は当初1904年、湊川神社本殿の横に設置されましたが、翌年、日露戦争の講和条約の内容に激昂した群衆に引き倒されてしまったそうです。
その後1909年、ハルピンで伊藤博文が暗殺された後、親交のあった大倉財閥の創始者・大倉喜八郎が自身の別荘のあったここ大倉山に台座をつくり、改めて銅像を再建し、あわせてこの地を公園として市民に開放する条件で神戸市に土地と別荘を寄付しました。
当時は周辺に高い建築物も無く、銅像は神戸港を行き交う船からも見えたそうです。その後1942年、第2次世界大戦中に銅像本体は金属供出され、台座だけが残り、現在に至っています。 また、この台座は、国会議事堂の尖塔のモチーフとなっています。くわしくはコチラをご覧ください。

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